必要なものは、必要な時に。イタトマとホブソンズの頃を思い出して

放課後のイタトマとアンナミラーズ
私は神戸で生まれ、1歳から28歳まで千葉で暮らした。
学校は小学校から東京で、毎朝電車に揺られて通っていた。
高校生の頃、放課後によく寄ったのがイタリアン・トマトとアンナミラーズだ。
イタトマのケーキは普通よりひと回り大きく、サンドイッチはどこかおしゃれだった。
アンナミラーズでは、白いブラウスにオレンジのエプロン、メイドさんのような可愛らしい制服のスタッフが、カウンターでパイを手渡してくれた。
いま思い返して不思議なのは、誰も値段の話をしていなかったことだ。
時代はバブルの真っ只中。高いか安いかより、そこにいること自体が楽しかった。
千葉の日常と、東京の非日常
表参道や六本木に出れば、アフタヌーンティーで紅茶を飲み、イタトマで大きなケーキを食べ、アンナミラーズでパイを頼み、ホブソンズのアイスを片手に街を歩く。
服はDCブランドで、ワイズやコムサ・デ・モード、ジュン、それにアニエスベー。
街ではBMWが「六本木のカローラ」と呼ばれるほど走っていた。
けれど千葉の家に帰れば、ヤマザキパンとサイゼリヤの日常が待っていた。
バブルの真っ只中でも、高級なものはまだ普段の暮らしには入り込んでいなかった。
住む街と遊ぶ街、ふだんの暮らしと特別な時間が、きれいに棲み分けられていた。
私は毎日、その二つの世界を電車で行き来していたことになる。
部屋が圧倒的に足りなかった時代
20代で不動産の仕事に就いた頃も、まだその空気は残っていた。
店に来たお客さんの免許証をコピーして鍵を渡し、「どうぞ、見てきてください」と送り出していた。
いま振り返るとずいぶん大らかだが、人を信じて任せることで回っていた時代だった。
「ほかにも検討中のお客さんがいます」。
いまでは営業トークの決まり文句のように聞こえるかもしれないが、当時は本当だった。
部屋を見に行って帰って戻ってきた時には、すでに別の方で決まっていることも珍しくなかった。
値段の話をしなくても、部屋は決まっていった。
理由は単純で、圧倒的に部屋の数が足りない時代だったからだ。
いまは、余る時代
あの頃、「月額5,000円のところ、最初の1ヶ月は980円」なんて広告を出す会社はなかった。
いまはサブスクも携帯電話も、入口の安さを競っている。
不動産も例外ではなく、フリーレントや初期費用ゼロといった言葉が並び、空き家の増加は社会問題になった。
部屋が足りなかった時代から、部屋が余る時代へ。まるで逆さまだ。
かといって、いまの時代が悪いとは思わない。
私はGUの980円のシャツが好きで、よく買いに行く。安いからというのもあるけれど、気に入ったから買う。
良いものが手の届く値段で身近にあふれ、たくさんの中から自分の気に入ったものを選べる。それが余る時代の良さだ。
部屋探しも同じで、いまは借りる人、買う人がじっくり比べて選べる。
オーナーにとっても、値段だけで勝負しなくても、「ここがいい」と気に入ってもらえる工夫をすれば、ちゃんと選ばれる時代になった。
どちらもいい時代。でも、ずっとは続かない
足りない時代には憧れがあり、余る時代には選べる自由がある。どちらもいい時代だと思う。
ただ、どちらもずっとは続かなかった。
バブルの頃、多くの人が「土地は必ず上がる」と信じていた。
いまの状況がこの先も続くと思い込んだ人たちが、そのあと大きく失敗していった。
物事は一定ではない。そして人間は、形を変えて何度でも同じ過ちを犯す。
そのたびに「今回は違う」と思ってしまうのだ。
私は不動産価格の予言をするつもりはない。
ただ、これだけ価格が上がれば、どこかで押し目、つまり上がり続けた価格が一息つく局面は来るだろう。それは歴史が何度も証明してきた。
かといって、そのまま下がり続けるとも限らない。ただの押し目で、再び上がっていくかもしれない。
相場のチャートと同じで、同じ値動きでも、見る期間によって上昇の途中にも、調整の途中にも見える。
いまがどちらなのかは、あとになってみないとわからない。
必要なものは、必要な時に
だから大切なのは、上がるか下がるかを当てることではない。
どちらに転んでも困らない判断をしておくことだ。
バブルの時代でも、大恐慌の時代でも、人には住む家が必要だ。
家を求めるタイミングを決めるのは相場ではなく、家族ができた、子どもが学校に上がる、といった自分の人生の節目である。
そのときに、予算の中で買う。あるいは借りる。
価格が上がっているときほど背伸びをしたくなるが、そういうときこそ無理をせず、予算の中で探せばいい。
たとえ世の中に失業者があふれていても、自分に必要で、自分の収入で無理なく払えるなら、堂々と買えばいいし、借りればいい。
景気がいいときに浮かれる必要もなければ、悪いときに縮こまる必要もない。
見るべきは世の中の空気ではなく、自分の暮らしと予算だ。これ以上の方法はないと、私は思っている。
結局、必要なものは、必要な時に、予算の中で。
時代の空気に流されて選ぶのでも、入口の安さに惹かれて選ぶのでもなく、いまの自分に必要かどうかで選ぶ。
それなら相場が上がっても下がっても、後悔することはないはずだ。
大きなケーキとホブソンズのアイスの頃から30年以上たって、ようやくそう思えるようになった。



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