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同じ事故を、同じ素材で。──賃貸経営における思考停止のコスト

  • 執筆者の写真: 石田敦也
    石田敦也
  • 14 時間前
  • 読了時間: 7分
退去立会で、洗面ボウルにひびや欠けを見つける。化粧瓶が落ちた、香水瓶を倒した、シャンプーボトルがぶつかった。理由はだいたい同じだ。


退去立会で、洗面ボウルにひびや欠けを見つける。化粧瓶が落ちた、香水瓶を倒した、シャンプーボトルがぶつかった。理由はだいたい同じだ。そして、その後の処理もだいたい同じになる。業者から補修見積もりが届き、敷金から按分計算で精算し、次の入居者を迎える。事務的に、淡々と。


問題は、この処理が「次の同じ事故」を一切防いでいないことだ。半年後、別の物件で同じ理由でボウルが割れる。同じ業者が、同じ陶器の交換見積もりを送ってくる。同じことが繰り返される。



■ 化粧瓶が割った、5万円のボウル


退去時の洗面台破損は、現場で本当によく見る景色だ。原因の多くは入居者の不注意というより、設計の問題に近い。鏡の横の収納ラック、ボウルのすぐ上の棚。ガラス瓶を置く場所と、割れて困るボウルが、垂直線上に並んでいる。落ちたら割れる。それだけの話だ。


業者見積もりは、欠け・ひびの補修で4〜5万円、ボウル交換に踏み込めば10万円を超える。原状回復ガイドラインでは、便器・洗面台等の給排水・衛生設備の耐用年数は15年と整理されており、残存価値は1円まで定額で按分されていく。入居期間が長くなるほど入居者側の負担割合は小さくなり、長く貸している物件ほど、この事故はオーナー負担で処理されることになる。


ここまでは、ある程度経験のある大家なら知っている話だろう。問題は、その先だ。



■ 業者は「依頼に答える」しかない


業者から届く見積もりに、私たちはどれくらい疑問を差し挟んでいるだろうか。

業者の仕事は、依頼を満たすことだ。「洗面ボウルが割れた」という依頼に対しては、同じ陶器のボウルに交換する見積もりを返す。それが彼らの役割であって、怠慢でも手抜きでもない。素材選定からやり直しましょう、設計の前提を変えませんか、と提案してくれる業者は、現実にはほとんどいない。


相見積もりを取ればいい、という反論はある。しかし三社から見積もりを取っても、出てくるのは「同じ陶器を、いくらで交換するか」という金額の比較だけだ。素材を変える発想は、依頼者側からしか生まれない。


ここに、賃貸経営における大きな分岐がある。

オーナーが「なぜ陶器のままなのか」「次に同じことが起きない選択はないのか」と問わない限り、業者は同じ素材で同じ見積もりを出し続ける。そして、また数年後、同じ場所が同じ理由で割れる。同じ素材で入れ替え続ける限り、この事故は何度でも起きる。そのたびに、オーナー負担が静かに積み上がっていく。


業者任せの見積もりに疑問を持たない、ということの真のコストは、目の前の5万円ではない。同じ事故を構造的に繰り返してしまう、その仕組みを温存していることだ。



■ 「壊れたら入れ替える」を、疑う


もう一度、洗面台の事故に戻ろう。

本当に問うべきは、「割れた陶器をどう交換するか」ではない。「なぜ瓶が落ちる位置にボウルがあるのか」だ。ボウルのすぐ上にガラス瓶を置ける棚がある、という設計そのものが、事故の構造的な原因になっている。そうであれば、もっとも効く一手は、上部に収納がない洗面台を選ぶことだ。ボウルの素材は陶器のままでもいい。瓶が落ちる場所がなければ、割れる事故そのものが起きなくなる。


樹脂系のボウル──人工大理石、ポリエステル系、FRPなど──を選ぶのも有力な選択肢ではある。割れにくく、深い傷もポリッシュで戻せる。ただ、これは「上部収納のある設計のまま、素材で保険をかける」アプローチであり、本来は設計で潰せる事故に対しての次善の手と捉えたほうがいい。


同じ発想は、床材にも当てはまる。フローリングは傷んだ部分を補修して使うのが基本だが、これが部分補修でも意外に費用がかかる。


原則は借主負担の範囲だが、入居者からすれば「これだけのことで」という感覚もあり、退去立会で揉めやすい部位の代表格だ。一方、フロアタイルはもともと表面が強く、フローリングのように傷がつきにくい。新築時の単価そのものもフロアタイルのほうが安い。加えて10年20年単位で発生する補修回数と一回あたりの費用を積み上げると、経験上、トータルコストの差はさらに開いていく。


共通するのは、「壊れたら同じものに入れ替える」を当然視しない、という姿勢である。設計を変えるか、素材を変えるか、運用を変えるか。どこか一段、上流に手を入れて前提そのものを動かす。これが業者見積もりからは出てこない判断であり、長期保有のキャッシュフローを静かに分けていく。



■ 繰り返す問題を、一段深く掘る


ここからが本題だ。

賃貸経営で長期的にキャッシュフローを蝕むのは、突発の大事故ではない。台風で屋根が飛んだ、給湯器が壊れた、配管が破損した、といった大きな出費は、誰でも真剣に検討する。複数業者から相見積もりを取り、保険適用を確認し、長期目線で素材や仕様を選ぶ。


問題は、月々起きる小さな修繕のほうだ。退去時の洗面ボウルの破損、クロスの剥がれ、フローリングの傷、網戸の張替え、給排水のパッキン交換。一件あたり数万円のオーダーで、いちいち深く考えていられない、と感じてしまう。だから業者見積もりがそのまま通っていく。


しかし、同じ現象が二度起きたら、それは「不運」ではない。物件の設計か、設備の選定か、入居者層と物件仕様の不一致か、必ずどこかに繰り返しの原因がある。対症療法を続ける限り、その原因は温存される。


二度目の事故が起きた時に、対症療法を捨てて原因側を変える。この一回の判断ができるかどうかで、5年10年後のキャッシュフローは大きく開いていく。


これは精神論ではなく、複利の話だ。年間2〜3件の小さな修繕で、それぞれの見積もりが2万円下がる、あるいは事故そのものが起きなくなる。差額が年間5〜10万円。これが10年続けば、運用利回りにはっきり乗ってくる金額になる。そして、この差は決算書にも物件概要書にも現れない。


だから、買う前にこの判断力の差を見抜くことはできない。買った後、運営の中で初めて差がつく。同じ立地、同じ築年数、同じ表面利回りの物件を2人の大家が買って、5年後にまったく違うキャッシュフローになっているのは、おおむねこの差だ。



■ では、その発想はどこから手に入るのか


ここで、もう一つの問いが立つ。

「なぜ陶器のままなのか」「なぜ収納がボウルの上にあるのか」「なぜフローリングなのか」──こうした問いは、業者からは出てこない。書籍やセミナーは一般論しか扱わない。では、どこから手に入れるのか。


ひとつの答えは、経験豊富な大家との付き合いを持つことだと考えている。

特定の物件タイプ、特定の入居者層、特定の設備で、何が10年後に効いてくるか──この粒度の知見は、同じ実務を長く回してきた大家の頭の中にしか入っていない。雑談の中でぽろっと出てくる「うちはもうフローリングはやらない」「洗面台は人工大理石一択にしてる」という一言が、見積もり一枚分以上の価値を持つことがある。


賃貸経営は孤独な仕事に見えて、実は情報の業種だ。同じ規模感・同じ志向の大家と定期的に話せる場を持っているかどうかで、判断の質は明確に変わってくる。これも、決算書には絶対に現れない長期の資産である。


業者との関係性も、同じく長く育てるべきものだ。「なぜ」を問える大家は、最初は業者から少し煙たがられる。質問が多い客は、業者からすれば手間がかかる。けれど長く関係を続けるうちに、業者の側の姿勢も変わってくる。素材の選択肢を持ち出してくれるようになり、設計上の改善点を最初に共有してくれるようになる。問う側の姿勢が、相手の提案レベルを引き上げていく。


洗面台を入れ替えるとき、収納のない設計を選ぶか、これまでと同じ製品を選ぶか。床を張り替えるとき、フローリングのままにするか、フロアタイルに切り替えるか。それ自体は、本当に些細な選択だ。


問題は、その選択を毎回、自分の頭でやっているかどうかだ。

業者から届いた見積もりに「これでお願いします」と返すのは簡単だ。決裁が早く、頭も使わない。けれど、その積み重ねの先に、ガイドラインの按分計算で静かに削られていく長期収益がある。


同じ事故を、同じ素材で。これは入居者の不注意ではなく、オーナー側の思考停止が招く結果である。気づいた人から、抜け出していくしかない。



石田敦也/有限会社ダイヤモンドコンサルティング 神戸市・芦屋市・西宮市の不動産コンサルティング 宅地建物取引士/賃貸不動産経営管理士/相続診断士


 
 
 

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